宮島の起業story「起業するまでの私…vol.1」
株式会社okeikoJapanを設立するきっかけとなった、最初の起業は、自宅が舞台。
『地域コミュニティとカルチャースクールを融合させた、地域の笑顔が集まる場』をテーマに「おけいこハウス」を作りました。
専業主婦から仕事復帰へ
保育士からフリーランスのアナウンサーになり、13年間テレビ局で働いていましたが、子育てに専念する道を選んでからは、長い間、専業主婦でした。自分では子育てが忙しく、PTA活動のお手伝いをしたりと、イキイキと過ごしていたつもりでしたが、ある日、昔の職場の仲間との飲み会に参加した時、「いつまで、くすぶっているんですか?」と言われ、「え?私ってくすぶっているんだ」と衝撃を受け、そこから、仕事復帰を考えるようになっていったのです。
もし、あの時にその言葉を聞いていなければ、今の私はいないと思います。
社会の役に立たない私?
子どもたち2人が小学校へ上がったら、仕事を探そうと決め、ハローワークに行ったり、派遣会社に登録してみたりと、仕事再開に向けて一般的なスタートを切りました。
運よく、ハローワークで大手病院の広報部求人を目にし、すぐに採用が決まったのですが、これが自信を失う第一歩。採用条件にはなかったillustratorというソフトを使って、広報誌を作るのがメインの仕事でした。このソフトは簡単にサクサク使えるものではなく、それなりの勉強と経験値が必要です。見たことも触ったこともない私ができるはずもなく、高額のソフトを購入して自宅で練習することもできず、毎日焦るばかりでした。当然、私の無能ぶりに、「使い物にならない」「ガンは早く切った方がいい」という声が聞こえ始め、昼休憩はトイレで泣くという日々でした。冷静に考えれば、職場にも迷惑がかかるわけで、すぐに退職すれば良かったのですが、このまま辞めたら私の存在価値はゼロどころかマイナスだと思い、せめて、いいねと言われる内容の広報誌を作ってから辞めようと目標を決めて、illustratorの使い方の本を読みながら必死で取り組みました。人の何倍も時間がかかり、内容についてもいいねとは言われませんでしたが(笑)、目標の広報誌が完成したので、わずか4か月でしたが退職しました。意気揚々と仕事復帰したものの、私って社会に必要のないクズなんだと感じ、どん底に突き落とされた苦い経験となりました。しかし、あの時のillustratorを使う経験が、今のビジネスにもとても役立っていて、悪いことばかりではなかったと思っていますし、当時指導してくださった職場の方には本当に感謝しています。
経営者になった今、人材育成においては「得意を伸ばせるチームワークづくり」を掲げ、「互いにリスペクトしあえる環境」「ミスマッチのない採用」を念頭に、「やりがい」と「おもいやり」のある職場を目指しています。
Sakae Hashiguchi
「起業するまでの私vol.2」へつづく
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