株式会社okeikoJapan

宮島の起業story「起業するまでの私…vol.4」

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株式会社okeikoJapanを設立するきっかけとなった、最初の起業は、自宅が舞台。
『地域コミュニティとカルチャースクールを融合させた、地域の笑顔が集まる場』をテーマに「おけいこハウス」を作りました。

 

主婦からのお仕事復帰はなかなか思うようにいかず、
(これまでの挫折についてはvol.1~vol.3で。)
動画制作の仕事も前に進まないままの状態で、なんとなく時間が過ぎていく日々でした。

 

そんな時に、以前お世話になっていた、テレビ制作会社の方から突然の電話。
テレビの仕事を卒業して以来だったので、およそ10年ぶりの声でした。

「年賀状ありがとう。また仕事を始めたんだね。もし良かったら、うちで仕事しない?」

え?またテレビの仕事ができるの?
思ってもみないお話で、耳を疑いましたが、
その時は飛び上がるほど嬉しかったのを覚えています。

 

ただ、仕事の内容を聞くと
夕方の生放送番組の中継ディレクター。

過去の経験から、厳しい現場だということを知っていたため、
ブランクのある私に務まるのか、とても不安でしたが、
こんなチャンスはもう二度とないと思い、喜んで受けることにしました。

 

一度、スタジオで花束をもらって卒業した番組。
出戻り状態の気恥ずかしさもありましたが、
懐かしい面々との再会にテンションMax!笑。

ドキドキの仕事がスタートしました。

 

広島テレビ テレビ派

 

 

運よく自分が担当している時間帯の視聴率は上がり、順調な滑り出しに見えましたが、

 

 

現実はそんなに甘くありませんね。
今度は、技術的、能力的なことに加え、
世代間ギャップや、人間関係の難しさに悩まされ、
現場をまとめる役割を果たすどころか、独りよがりな理想を追い求めるあまり、
私自身が、不平不満を口にしない日が無いほどになっていきました。
今、思えば、サイテーな自分です。

 

遅い時間まで準備をし、生放送という緊張感のある中継現場を仕切っていくには、
想像以上に体力も必要。

余裕が無い中で、一生懸命になりすぎて、
置かれている自分の立場や状況も見えなくなり、
ついには、ストレスからか、顔面に帯状疱疹ができ、大きな絆創膏を貼って出勤していました。

家事や育児もおろそかになり、母にヘルプしてもらいながら、
クタクタになる毎日に、

 

だんだんと、

何のために仕事をしているの?
今の自分は、なりたかった自分?
どんな未来を描いているの?
こんなことを考えるようになり、

 

結果は1年で終了。

 

またまたスタジオで花束をもらって卒業となりました。

未熟な私を支えてくださった番組スタッフの皆さんには感謝しつつ、
人として、もっと成長する必要があると、身に染みた1年となりました。

 

 

苦しくもあり楽しくもあり、ここに戻ってこれた幸せを噛みしめながら、
今度は、取材されるような人になって戻って来ます、と挨拶して
ピリオドを打ちました。

 

Sakae Hashiguchi

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